5月の高知県土佐清水市でのライブ&ワークショップの詳細、8月の長野でのコンサート、11月の静岡でのコンサートの情報をアップしました。お近くの方、ぜひいらしてくださいね。
http://www.ame-ambient.com/live/index.htm
中国政府が、ダライラマ猊下との対話を行なう意向がある、との声明を発表した。この時期での声明はあまりにも露骨で嫌悪感さえ抱かせるが、ともあれ、対話ができることだけでも一つ前進なのかも知れない。
また、長野で行なわれた聖火リレーに一体何の意味があったのか、僕にはまったくわからないし、聖火を持ってにこやかに走っていた著名人たちの人権感覚のなさには、もはやため息すら漏れない。
愚か過ぎるではないか。
国家が断行する暴力について、考えることがある。仔細は省くが、大国と云われた旧ソ連にしろ現在のアメリカ合衆国にしろ、それらの国々の暴力は世界における理念と深い関わりを持っていた(それ以上に、政治家たちの利益と)がゆえに、醜悪に国境を越えていった。プラハの春を踏みにじり、アフガンの大地を穢したソ連軍のタンクを僕たちは見た。僕たちはネイションを越える戦いや蹂躙を目のあたりにし、その果てにコソボ紛争とユーゴの上空を滑空するNATOの戦闘機を見たのだ。
いっぽうで、この中国の振る舞いはどういうことだろう。ひどくドメスティックであり、ひどく居心地が悪い。21世紀に暮らす僕たちは、ネイションが脱領域化され、グローバルな「帝国」(ネグリ/ハート)の出現をそこかしこに見いだしているというのに、中国だけがあまりにも時代遅れであり、異様に内向的であり、かつDVめいて暴力的なのだ。中国は世界の情勢からいえば、およそ50年ばかり遅れているのである。文化大革命がその遅延をもたらしたのだ。そして、それが、この期に及んで姿を現わし、問題を噴出させたわけである。
中国は、自分がいかに孤立しているか、そしていかに時代から取り残されてしまったかを知るべきなのだ。