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アルバムがリリースされてから、これで数日が経った。幾人かの方から、声をかけていただき、メールをいただいた。皆さん、ほんとうにどうもありがとう。とても嬉しいです。
「それにしても、なぜ馬なの?」 という声もいただいた。なぜ馬なのだろう? あのジャケットに使った馬の写真は、19 世紀のカナダの中西部で撮影されたもので、当時のオリジナルプリントそのものである。一切、手は加えていない。二十歳代の初めの頃、僕にはしばらくカナダで遊んでいた時期があって、当時お世話になっていたカナダ人の友人のお母さんからいただいた写真である。おそらく彼女の曾祖父くらいの時代ではないだろうか。カナダの開拓時代である。 彼女は僕にいろんな写真を見せてくれた。 「美しい写真ばかりだね」僕がそう言うと、彼女はまるで裏庭で採れた果実でも差し出すように、 「全部あげるよ、持っていきなさい」 と言った。大切なオリジナルプリントを、こともなげに。 だから僕は、今でも大切にそれらの写真を持っているのである。他にも10枚ほどの写真が、僕の手元にある。 さて、なぜ馬の写真なのだろう。 その理由は、ジャケットデザインが決まったずいぶん後になって気がついたのだが、おそらく一昨年にモンゴルで見たひとつの光景が僕の心のどこか深いところに横たわっていたからである。心の底、まるで暗い川底のような場所にその光景は横たわって、静かに、静かに、僕を揺すぶっていたのだ。自分でも気がつかないほど、それはささやかな揺さぶりだが、しかしそれは通奏低音のように僕のどこかを支配し、促し続けている。そうして僕は、意識のうえでは通奏低音に気がつかないまま、その暗い川底のささやきに無意識に反応する。馬の写真に、魅了される。 モンゴルで見た光景のことは、かつてnaaga`s voiceの「あの美しい馬をわれらに」というタイトルで書いたことがある。 モンゴルの首都ウランバートルには、マンホールチルドレンと呼ばれる子供たちがいて、彼らは薄汚いマンホールのなかで暮らしている。一部の大人たちに脅されて犯罪に手を染め、あるいは女の子はレイプされる。そこは、冷たい地獄のような場所だ。まだ年端のいかない子供たちが、その冷たい地獄で世界を呪っている。 しかし、いったんウランバートルを離れると、そこにはまったく別種の子供たちがいて、世界はまったく違った様相を呈している。 (以下、「あの美しい馬をわれらに」からの引用) 昨年5月のこと。 僕はモンゴルで知り合った人に誘われて、ウランバートル郊外の草原へ馬に乗りに出かけたのだった。テレルジという国立公園の美しい平原に、ぽつんとひとつのゲルが建っていて、そのまわりに馬たちが20頭ほどいただろうか。そのゲルに住む家族は、観光客のためのホーストレッキングをやっていて、僕たちが訊ねるとモンゴルのミルクティーで歓迎してくれた。 そのゲルに、やはり15歳にも満たない少年が暮らしていて、彼が僕たちのトレッキングを先導してくれた。彼の手綱さばきは、素晴らしかった。長いたてがみを持つ最も気の荒い暴れ馬に跨がり、まるでねじ伏せるように馬を奔らせた。暴れ馬は怒りを全身で現わすように前脚を高く持ち上げ、少年を振り落とそうとする。草原を切り裂くような金切り声で哭き、長いたてがみを揺すった。 だが、少年は力ずくで馬を制圧するのだ。制圧し、君臨し、そして、愛する。だが、すべてが遊戯であり、すべてが奔放で、自在だった。美しかった。それは、ひとつの愛撫ですらあった。暴れ馬の長いたてがみはあまりにもセクシャルで、少年はそれと遊戯するひとつの恩寵そのものであった。 その少年を、僕は思い出した。 同じ歳頃の少年のはずなのに、なぜ一人は平原で遊戯し、なぜもう一人は、マンホールのゴミ溜めで世界を呪うのか。なぜ冷たい地獄で、凍えるのか。同じ年端の少年が。 そしてなぜ、世界の姿はかく在るのか。 なぜ、マンホールの少年は草原で暴れ馬に乗っていられなかったのか。なぜ冷たい地獄の底に横たわっていなければならないのか。一体なぜ、世界はその少年に青ざめないのか。 そう、この時に見た馬と少年の姿が、僕の記憶の深いところに残っていたのだと思う。 そうして僕は、デザイナーに、馬の写真を指差したのだ。「これを使おう」と。 また今回のCD『イリュミナシオン/冥王星』には、詩編のようなエッセイを併録したのだが、このエッセイに描かれた「平原を駆け抜ける野性の馬の群れ」には、やはりこの時の馬の姿が根源に横たわっている。 一切の抑圧を逃れ、生命が絶対的な肯定を獲得する場所。それが、平原なのだ。そして霊性は、この絶対的に肯定された生命自身に内蔵されている。 平原へ! それは、マンホールに暮らす子供たちへの言葉である。マンホールの「ような」場所に暮らすあらゆる人への言葉でもある。 だが抑圧は追いかけて来る。だから、僕たちは駆けなければならない。それが追いつく前に、平原を駆け抜けてゆかねばならない。スピードをあげて、息もつかずに、ただまっすぐ前だけを見て、駆け抜けるのだ。野性の馬の群れのように。暴れ馬にまたがった少年のように。そしてその時、すべては純然とした美である。裸の生命と、魂の、美である。 そんなことを想うのだ。 1月13日、もう今は夜中だからすでに昨日のこと。 僕は山へ登っていった。茅ケ岳という山である。今日は、父の命日だった。もう40年が経つ。冬枯れした山の、少しばかり見晴らしのいい場所に立って、僕は父のことを想う。父の年齢はもうとっくに過ぎてしまった。年下の父よ、あなたの息子の声は聴こえているか。山の上に立ち、冬の世界の光景を眺める息子の姿がわかるか。 長い時間が経ったね。お父さん。 世界はひどくやかましくて、でもここはとても静かで、冬はもうしばらく続くよ。僕はたくさんのものを見てきたけど、たくさんのものを失ったかも知れないね。でも、ともかくここまでやってきたんだ。自慢できる息子にはなれなかったけど、ともかく生きてはきたんだよ。 長い時間が過ぎたんだね。 年下の父よ。
by rhyme_naaga
| 2006-01-14 02:39
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