このところ八ヶ岳は激しい冷え込みで、昨日も午後3時ですでにマイナス3℃しか気温がなかった。こういう時は八ヶ岳のほうから激しい風が吹きおろしてくる。家の庭にある2本の巨大なヒマラヤ杉は梢をしならせ、葉はざわざわと揺れる。天空から風のうなりが響き、それが室内にまで聴こえてくる。
かつて、この風を「風の三郎」と呼んだのだという。八ヶ岳の中腹、風の通り道には「風の三郎社」という小さな祠もあるらしい。宮沢賢治の「風の又三郎」は、このあたりに暮らしていた彼の友人が手紙で「風の三郎」に触れていたことから着想したのだという。
「風の三郎」。しかし、奇妙な名前である。
三郎といえば、やはり八ヶ岳近くの諏訪湖、その湖畔にある諏訪大社を舞台にした「神道道」の説話の主人公、甲賀三郎もやはり三郎だった。甲賀三郎は、諏訪から地底の世界へと旅立つ。地底を遍歴し、やがて甲賀で地上に帰ってきた時、彼は大蛇と成り果てていた。
その三郎とは一体何だろうか。
ひとつには、「吹きすさぶ」という言葉の「すさぶ」が原型として考えられるかも知れない。
「すさぶ」に含意される荒ぶるイメージ。荒ぶりながら、移動する者。男。すさぶる男。同じ言葉から連想されるのは、スサノオノミコト。
スサノオは、荒ぶる神であった。
出典は忘れたが(延喜式だったか)、確か諏訪大社は大和の竜田大社とならんで風の神を祀っていた。八ヶ岳の風が三郎の風であり、荒ぶる風ならば、諏訪の風神もきっと荒ぶる神に違いない。