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ポーランドのストーンサークル~2015ヨーロッパ②
ワルシャワから地方の街を経由して、バルト海沿岸部の地域であるカシュビ地方へ移動した。
カシュビにはビトワというさらに小さな街があり、そこからさらに森の奥へ車で移動する。カシュビには多くの湖があり、それらを針葉樹と白樺の森が取り囲んでいる美しい地方で、まるで古代の東ヨーロッパの森がそのまま残されてしまったような、古代的、あるいは中世的な原野である。
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ビトワの中心部には、中世、キリスト教僧兵の城塞の廃墟があり、カシュビ地方を治めていた。このカシュビの森の中に、美術館が新しく造られ、僕はそこでの演奏のために赴いたのである。
カシュビ地方の美しさは、例えば、タルコフスキーの映画『ノスタルジア』に現れる主人公の故郷、ロシアの森のような美しさである。
緩やかなこう配の原野が湖に向かって沈もうと傾き、静寂の霧の中であらゆるものが息をひそめている。馬たちが白い息を吐きながら押し黙っている。白樺の森が人を寄せつけぬ神秘に凛然と存在し、ただユーラシアの北へと広がっている。あらゆるものは、ここまで来てその森に消える。鏡のような湖はすべてを拒絶して、さらに美しい。
そのカシュビ地方に、ストーンサークルがある。
湖のほとり、小高い丘の麓から頂上にかけて、いくつものストーンサークルが点在し、それらの合間を縫うように盛土の墓がある。一体誰が、いつの時代にストーンサークルを造ったのか大きな興味を覚えて、そこまで連れていってもらった。
ストーンサークル自体はそれほど大きなものでないが、それは整然と配置され、なおかついくつものそれが丘全体を覆っている。アメリカインディアンのダンサーがここに来て陶然とし、熱狂して夜通し踊っていたのだとポーランドの知人が教えてくれた。
彼が言うには、これらを造ったのはスカンジナビア半島からやってきたゴート人たちだということだった。
ただ、この「野蛮」なゲルマン、ゴート人がスカンジナビア半島の出身であることは現在では疑問視されている。いずれにしても、ゴート人たちはかつてこのポーランド、バルト海沿岸部あたりに跋扈し、やがて黒海のほうへ移動していった。
しかし、本当にゴート人たちがこのストーンサークルを造ったのだろうか。
例えば、ヨーロッパの代表的なストーンサークルであるブリテン島のストーンヘンジは、ケルト系の人によって造られたという説があるが、ケルトがヨーロッパに流入してくるのはストーンヘンジが造られた時代よりもはるかに新しいはずである。ストーンヘンジとケルトが深く関係あるとすれば、それは、ケルトがブリテン島にやってきた時、「すでにそこに存在していた」ストーンヘンジを祭祀に利用したからではないだろうか。
ストーンヘンジ、あるいはストーンサークルの出自はおそらく、とてつもなく古い時代に起源しているように思われる。ケルトは、ゲルマンがヨーロッパにやってきた時にはすでにそこに存在していたが、そのケルトにしてもインド・ヨーロッパ語族の圏内にあり、じつは大差はないのではないだろうか。ストーンサークルは、そのケルトよりさらに古い時代にやってきた「まったく別種」の人たちによって造られたような気がする。
例えば、スペインのバスク。
彼らのバスク語は、他のヨーロッパの言語とはまったく異なったシステムを持った異邦の言葉である。そのバスクの先祖は、果たして誰なのか。バスクはどのようにヨーロッパに来たり、どのような異邦の神、異邦の文明を宿していたのか。
バスクとは、一体誰なのか。
ストーンサークルは、ポーランドのものに限らず、ヨーロッパに偏在している。しかしその起源は、僕にはバスクの源流にあるように思われて仕方がない。かつてケルトやゲルマンが流入してくる以前、ヨーロッパに偏在していた人々。彼らの文明。彼らの祭祀。エクスタシー。死。それが巨石文明としてのストーンサークルに繋がっているような気がする。
そして、もうひとつ。
小規模ながら、ストーンサークルは日本にも存在する。東北地方のストーンサークルがもっとも有名だが、縄文時代のストーンサークルは紀伊半島にもかつて存在していた。
それらは、一体誰が造ったのだろうか。縄文人とひと言で片付けるわけにはいかない。そこにはすでに多様な民族のタペストリーがあり、その織りなす糸の流れは、ユーラシアの一体どこまで延びているのか。
シベリアの、モンゴル平原の、あるいは満州の。
それとも、ストーンサークルはユングが仮説した「集合無意識」の表出なのだろうか。
その巨石文化は、人類の無意識に深く関わり、人類が人類であるためのひとつの条件のようなものであったのだろうか。
巨石文化と人類の精神は、果たして繋がっているのだろうか。
夢の中で、あなたは巨石と結ばれているだろうか。
一体それは、何だろうか?
カシュビ。2015年中旬
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by rhyme_naaga | 2015-10-24 21:40 | Essay
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