そう、僕は夢の中で、あまりにも美しい歌を聴いたのだった。
半覚半眠のまま、僕はその歌に感動していたのだが、半分目覚めている意識のほうでは何かがおかしいと感じてもいた。その歌が、どうしても自分の頭の中から聴こえているような気がしていたのである。
夢の中で、僕は試しに耳を塞いでみることにした。人々は、僕の目の前で歌っている。耳を塞いでも、同じような音量で歌が聴こえていれば、その歌は僕の頭の中から聴こえていることになる。
そして実際に耳を塞いでみても、思った通り、歌の音量は変わらなかった。
やはり、これは僕の頭の中から聴こえて来ているのだ。
ならば、もし僕がこの美しいメロディーをさらに美しくしようと意志すれば、この歌は変化するに違いない。そう思い、僕はそのメロディーに新たな音階を加えようとした。
するとその途端。
本当に、その途端に、である。
歌が消えてゆこうとしたのである。
まるで危ういバランスが崩れてゆくように、あるいは砂の城が海にさらわれてゆくように、歌が遠くなっていったのである。
僕は自分の間違いに気がつき、「意志する」ことをやめた。すると、たちどころに歌が帰って来るのである。美しい歌が、かつてと同じ音量で鳴り始めたのだった。
そうして僕は危ういバランスを保ちながら、徐々に夢から覚めていったのである。
僕は思った。
音楽はそれぞれの地域の文化や貿易・交通あるいは戦争などによって変質しながら、ある定型のようなものが生まれて来る、と考えるのが普通だが、もしかしたら、地球上のすべての音楽はむしろ、ある母胎から生まれて来るのかも知れない、と。
そしてその母胎とは、心理学/精神分析学の用語を使わせてもらえば、無意識のことなのかも知れない。あるいは、もっといい言葉があるのかも知れない。
トランスパーソナルというわりと新しい心理学の分野があるが、もしかしたら、これに近いのかも知れない。トランスパーソナル、つまり個を凌駕、というよりはむしろ越境してゆく、ということ。個を越境して、ある母胎にすり寄ってゆくこと。ただ、これは普遍ではない。「普遍」と名付けた途端に、その母胎の持つ強度も速度も失われてしまうからだ。
ともあれ、そんな夢だった。
さて、今週末は大阪でライブである。
皆さん、ぜひいらしてくださいませ。ではでは!!