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生きる意味を問うこと、について
ある本の中から、引用してみようと思う。
著者は、ヴィクトール・E・フランクル。言うまでもなく、彼はナチスの強制収容所に収容された精神科医で、解放後、その体験記/精神分析として書かれた『夜と霧』はあまりにも有名である。
引用した本は、彼の講演集『それでも人生にイエスと言う』。
強制収容所から解放された翌年に、ウィーンの市民大学で行なった講演である。つまり、つい1年前には文字通り、死の淵を覗き込んでいた人の言葉である。
どうか、読んでみてください。

あるとき、生きることに疲れた二人の人が、たまたま同時に、私の前に座っていました。それは男性と女性でした。二人は、声をそろえていいました、自分の人生には意味がない、「人生にもうなにも期待できないから」。二人のいうことはある意味では正しかったのです。けれども、すぐに、二人のほうには期待するものがなにもなくても、二人を待っているものがあることがわかりました。その男性を待っていたのは、未完のままになっている学問上の著作です。その女性を待っていたのは、子どもです。彼女の子どもは、当時遠く連絡のとれない外国で暮らしていましたが、ひたすら母親を待ちこがれていたのです。そこで大切だったのは、カントにならっていうと「コペルニクス的」ともいえる転換を遂行することでした。それは、ものごとの考えかたを一八〇度転換することです。その転換を遂行してからはもう、「私は人生にまだなにを期待できるか」と問うことはありません。いまではもう、「人生は私になにを期待しているか」と問うだけです。人生のどのような仕事が私を待っているかと問うだけなのです。・・・(中略)・・・
ここでまたおわかりいただけたでしょう。私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、「人生の問い」に答えなければならない、答えを出さなければならない存在なのです。生きること自体、問われていることにほかなりません。私たちが生きていくことは答えることにほかなりません。そしてそれは、生きていることに責任を担うことです。
こう考えるとまた、おそれるものはもうなにもありません。どのような未来もこわくはありません。未来がないように思われても、こわくはありません。もう、現在がすべてであり、その現在は、人生が私たちに出すいつまでも新しい問いを含んでいるからです。すべてはもう、そのつど私たちにどんなことが期待されているかにかかっているのです。その際、どんな未来が私たちを待ちうけているかは、知るよしもありませんし、また知る必要もないのです。

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5月21日には、八ヶ岳で焚き火ライブを開催します。
ライブの後、焚き火を囲んで参加者の方々と話したいと思っています。
みなさんと話し合い、この新しい世界で生きてゆくための手がかりを掴みたいと思います。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。詳細は、以下をご覧ください。
http://www.ame-ambient.com/news/takibi.html
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by rhyme_naaga | 2011-04-28 00:16 | etc
我が家の春の報告
八ヶ岳にも春が訪れ、桜はそろそろ満開となった。
我が家の庭に立つ桜の樹々のなかで、ソメイヨシノはやはり満開となり、山桜は新芽が吹きこぼれるようになった。
その山桜に花が咲くのは、おそらく今月末になるだろうか。
福島原発の状況が厳しいなかでも、こうして季節は巡り、花は咲く。庭仕事は山ほどあり、毎日、土や樹や草を相手に労働している。そして、夜は、曲を作っている。
またいずれ書くこともあると思うが、いま作っている曲は、教会のための音楽。美しい現代建築の教会で、その建築のコンセプトを音楽にそのまま生かした曲を作るのである。
ひっそりと、夜中の静寂のなかで教会のための音楽を作るというのは、なかなか得難い時間である。

明日からは、畑仕事も始まるし、来月初旬からは田んぼも始まる。庭仕事にも終わりはない。
そして、音楽にも終わりはない。力の続く限り、僕は音楽を作り続けるだろう。

ソメイヨシノの満開の枝が、天に向かってのびやかに腕をのばしている。
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山桜の新芽は、まだ出始めたばかり。
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ちょっと以前に撮ったうちの愛猫君。本棚の上の窓際が、彼のお気に入りの場所のひとつ。
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5月15日、本当に久しぶりの兵庫県でのライブの詳細をアップしました。
どうかご覧ください。
http://www.ame-ambient.com/live.html#0515

5月21日には、八ヶ岳で焚き火ライブを開催します。
ライブの後、焚き火を囲んで参加者の方々と話したいと思っています。
みなさんと話し合い、この新しい世界で生きてゆくための手がかりを掴みたいと思います。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。詳細は、以下をご覧ください。
http://www.ame-ambient.com/news/takibi.html
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by rhyme_naaga | 2011-04-18 23:31 | ライブツアー
震災の日
震災の日のことを書いておこうと思う。

その時、僕は八ヶ岳南麓の自宅にいた。これまで体験したことのない揺れの大きさの驚きながら、倒れそうになる家具を手で押さえていたが、ガラス製のものが床に落ちて壊れた。
長い揺れが収まった後、外に飛び出すと、やはり外に出ていた隣人が「気仙沼あたりが震源地らしい」と教えてくれた。
気仙沼あたりが震源地だとすれば、この八ヶ岳南麓までははるか数百キロも離れている。それにも関わらず、あれほど揺れたのであれば、事態はただ事ではない。そう思いながら、空を見上げると、白い花びらがひらひらと舞い落ちて来るのが見えた。

花が舞っている。
どこかでもう早咲きの桜でも散っているのか。そう思って不思議な気でいるうちに、白い花びらは雪に変わり、おびただしい雪降りとなり、風が吹き始めた。そうして、あっという間に吹雪となって、視界のすべてを白く染めた。
ついさっきまでは、雲ひとつないような晴天だった。それが、地震を境にするかのように、吹雪となった。空恐ろしいような予感で、背筋が震えた。
吹雪は、しかし美しかった。そして、これまで体験したどんな瞬間よりも、恐ろしかった。
その時から翌日の早朝まで、半日以上もの長い停電があった。
インターネットはダウンし、テレビははなから持っていない。ラジオもなければ、携帯電話もまったく繋がらない。こうして完全に情報源からシャットアウトされて、僕と妻は長い夜を過ごした。
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世界は、静かだった。
それはあまりにも静かだった。物音ひとつ立てない世界は、まるですべてが死に絶えた後のようだった。
東京の友人の何人かに電話をかけてみるが、まったく繋がらない。そのうち携帯電話の電池の消耗が気になりはじめ、ともかく停電が終わるまでは使わないようにしようと思った。
ろうそくを灯し、ただ腰掛けたまま夜を過ごしているうちに、ふと、もしかしたら東京はすでに壊滅してしまったかも知れない、と思った。それとも、東日本のすべてが崩壊してしまったのだろうか。この凄まじい静寂は、世界の終わりの事後にやってきた帰結なのだろうか。
これは、僕ひとりの妄想なのだろう。だが、それにしても、この妄想は冷たい確信めいたものを背後に伴っていた。ひやりとする金属質の鋭利な冷温が、首筋にあてられたようだった。
僕は、地震の後の吹雪を想った。あの吹雪の美しさと、空恐ろしさ。そして、この静寂。世界は、終わってしまったのだろうか。
白く、美しく、冷徹で、底恐ろしい気配の中で、ただここだけはあまりにも静かで、そして世界は終焉を迎えたのだろうか、と。

しかし言うまでもなく、世界は終焉を迎えなかった。
本当に多くの方々が被災し、家を失い、家族を失い、あるいはご自身の尊い命を失われた。一方で、生き残った方々の人生はこれからも続き、僕たちの生活もやはり続いていく。僕たちはご飯を食べ、仕事をし、眠る。それは震災前も震災後も変わらない僕たちの日常である。
しかし、それでも、僕にとっての世界はある意味で、終焉を迎えたのだ。
震災の前まで存在していた懐かしい世界はすでに終わり、震災の後、世界は変わったのである。
あの時の美しく恐ろしい吹雪は、世界の切断面から吹いてきたものであった。僕にはそう思えてならない。

この新しい世界で、僕は自分自身の生を問われている。
自分自身の日常と、生活と、人生を問いただされている。
これまで確かなものとして存在していたはずの「明日」が、突然、根拠を失った。不確かな索漠の白い視界のなかで、「明日」は指先でたぐり寄せなければならないものとなった。
僕は、この地点から、どうやって生きてゆけばいいのか。無期限の返済期限を約束されていたはずの生は、3月11日を境に猶予を失効したのだ。そうして今日の生は、今日の生として完結し、あらためて明日をたぐり寄せなければならない。
生は、死を内在する。しかし、わかりきったことではなかったか。
だが、もはや「待ったなし」なのだ。

5月21日には、八ヶ岳で焚き火ライブを開催する。
ライブの後、焚き火を囲んで参加者の方々と話したいと思っている。
僕たちの生について。そして、それが大震災を境にして、どのように変わっていったのかについて。
たくさんの人たちと話し合い、この新しい世界で生きてゆくための手がかりを掴みたいと思う。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。詳細は、以下をご覧ください。
http://www.ame-ambient.com/news/takibi.html
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by rhyme_naaga | 2011-04-07 00:15 | etc