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NewCD『イリュミナシオン/冥王星』リリースに、想う vol.4
コメントのところでも書いたのだけど、vol.2に書いたことで幾人かの方にご心配をかけてしまい、とても申し訳ないことをしてしまった。改めてお詫びいたします。ごめんなさいね。
これもやはりコメントのところに書いたのだけど、僕が言いたかったことは、たぶん「変化」についてだったのだと思う。人は変化するし、物事すべても休むことなく移り変わってゆく。しかし、人がその変化に気づくのは、ずっと後になってからのことだ。自分自身が、かつて自分がいた場所から遠く隔たり、離れてしまったことを自覚するのは、「離れゆく最中」ではなく、すでに完全に隔たってしまった後なのだ。
そして、ある時突然、ノスタルジーがやってくる。
それは過ぎ去ってしまった時間への郷愁だ。かつて味わった素晴らしいこと、苦いこと、悲しいこと、孤独だったこと、愛おしいこと、それらすべてが甘いヴェ−ルのようなものを纏って、まざまざと蘇ってくる。そして、すべては失われたものだ。僕のこれからの生、未来にはもう二度と決して現れることのないすべてだ。
それが、洪水のように溢れてくる。
僕は多くのことを思い出す。見晴らしのいい冬の山に立って、失われたものの総体をなぞる。それは、盲人が巨象に触れるようなことだ。失われたものはあまりにも大きくて、僕の指はその肌の上で震えるばかりだ。だが、悲しくはない。苦くもない。少し寂しいけれど、僕には新たに広がる未知の海がある。帆を上げるための、海だ。
「一つの帆が、丸くふくらんで、風の激しさに震えながら、海を越えて行くのを、きみたちは見たことがないのか?」
ニーチェはそう書いている。それが、僕たちの生の姿だ。
僕は過去に溺れないし、悔やみもしない。ただ、ある愛情と尊敬を持って、それを手に取ろう。慈しみ、特別なやりかたで小舟に乗せよう。そして、川に流すのだ。流転の川に。
そして、過ぎ去ったあらゆることを「是」としよう。躊躇なく、肯定するのだ。

父よ、と僕は思ったのだ。
僕はこれまでの僕の生、その一切を肯定することができるんだよ。失われたものはすべて、ひとつの愛情で包み、僕は冬の山から世界を眺めている。そして世界は、大きな海のようだね。父さん。
僕はここ数年でいくつもの曲を作ってきたけど、いつも後悔がたくさんあった。でも今では、何ひとつ後悔していないんだ。すべてがあれで良かったし、ぎこちないやり方だったけど、僕はベストを尽くしてきた。僕はたくさんの間違いをしてきたけど、一切は時間の渦のなかでちゃんと流れていったんだ。

写真は2000年4月にリリースしたCD『千の熊野』。
映画『ガイアシンフォニー』の龍村仁監督が、とても素敵な推薦文を書いてくださった。どうもありがとう、龍村さん。
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by rhyme_naaga | 2006-01-25 18:21 | etc
NewCD『イリュミナシオン/冥王星』リリースに、想う vol.3
アルバムジャケットの写真のことは前回のダイアリーに書いたが、もう一枚、やはり当時いただいた写真を紹介したい。
19世紀のカナダ中西部、誰とも知れない一人のヨーロッパ人がピアノを弾いている。大きな洋館の居室に差し込む陽光と、ピアノの音。だが、彼の外には手つかずの広大な平原が横たわっており、そこは極寒と不毛の地である。彼は、その極寒と不毛から逃避し、かつてのヨーロッパでの日々に埋没するように、ピアノに向かう。その優雅な姿の背景に、人生の苦闘が透けて見える。
ともあれ、これは僕の好きな写真のひとつである。

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思えば、カナダでぶらぶらと遊んでいたのは今からもう20年近く前のことになる。初めての海外で、英語はまったく話せなかった。周囲には誰一人として日本語を話せる人はいなかった。しかし一ヶ月ほどそんな環境で生きていると、だいたいの英語はなんとなく理解できるようになる。何しろ、日本語は一切話さなかったのだから。
しかし、僕は小型のワープロを持ち歩いていて、ほとんど毎日、日本語で文章を書いていた。当時は作家になろうと思っていたから、短編小説のようなものを書いてみようと試行錯誤していた。結局その頃カナダで書いたものはすべて習作だったが、帰国してから書きはじめたものを出版社に送り、それで新人賞佳作をいただくことになった。
僕には、好きな作家たちがあった。短編小説を書こうとしていた頃、小説というのが一体どうやって作られているのか細かく調べるように読み耽ったのは、E・ヘミングウェイの最初の短編集『われらの時代に』だった。すべてが簡潔な言葉で書いてある。しかし、そこには書かれていないものまで、僕の心に届いてくる。それが不思議だったのだ。
その後、ヘミングウェイはまったく読まなくなった。それよりも僕が愛した作家たちは、ヘンリーミラー、中上健次、坂口安吾、フォークナー、ガルシア・マルケス、ジャン・ジュネ、石原吉郎、石牟礼道子であり、そして、アルチュール・ランボオであった。
ランボオの書く詩は、今更言うまでもないが、言葉の力に溢れ返り、氾濫し、色彩が渦巻いている。それは誰に真似することもできない極北である。そして、彼の残した詩集はわずかに2編。
『地獄の季節』と『イリュミナシオン』である。

アルバム『イリュミナシオン/冥王星』のイリュミナシオンは、このランボオの詩集のタイトルから採った。
イリュミナシオンとは、飾画、イルミネーション、啓示、といったような意味のフランス語である。ランボオがどういう意味を託してその詩集にイリュミナシオンと名付けたのか知らないが、僕のイメージは、暗闇に燐光の群れのように明るく輝く色彩群だ。そして、それは何ものかの到来を告げる暗示であり、予兆であり、啓示である。
到来するもの、来るべきもの、未来、愛情。その手応え。確信。
詩集『イリュミナシオン』は、未完のままだった。ランボオはそれを完成することなく、ヨーロッパを捨ててアフリカへ渡った。もう詩集を編むことなく、砂漠の商人となった。彼はそのアフリカに、何か輝かしい予兆を感じていたのかも知れない。

輝かしい予兆。
確かな未来。
到来する愛情。
イリュミナシオン。
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by rhyme_naaga | 2006-01-17 22:44 | etc
NewCD『イリュミナシオン/冥王星』リリースに、想う vol.2
アルバムがリリースされてから、これで数日が経った。幾人かの方から、声をかけていただき、メールをいただいた。皆さん、ほんとうにどうもありがとう。とても嬉しいです。
「それにしても、なぜ馬なの?」
という声もいただいた。なぜ馬なのだろう?
あのジャケットに使った馬の写真は、19 世紀のカナダの中西部で撮影されたもので、当時のオリジナルプリントそのものである。一切、手は加えていない。二十歳代の初めの頃、僕にはしばらくカナダで遊んでいた時期があって、当時お世話になっていたカナダ人の友人のお母さんからいただいた写真である。おそらく彼女の曾祖父くらいの時代ではないだろうか。カナダの開拓時代である。
彼女は僕にいろんな写真を見せてくれた。
「美しい写真ばかりだね」僕がそう言うと、彼女はまるで裏庭で採れた果実でも差し出すように、
「全部あげるよ、持っていきなさい」
と言った。大切なオリジナルプリントを、こともなげに。
だから僕は、今でも大切にそれらの写真を持っているのである。他にも10枚ほどの写真が、僕の手元にある。

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さて、なぜ馬の写真なのだろう。
その理由は、ジャケットデザインが決まったずいぶん後になって気がついたのだが、おそらく一昨年にモンゴルで見たひとつの光景が僕の心のどこか深いところに横たわっていたからである。心の底、まるで暗い川底のような場所にその光景は横たわって、静かに、静かに、僕を揺すぶっていたのだ。自分でも気がつかないほど、それはささやかな揺さぶりだが、しかしそれは通奏低音のように僕のどこかを支配し、促し続けている。そうして僕は、意識のうえでは通奏低音に気がつかないまま、その暗い川底のささやきに無意識に反応する。馬の写真に、魅了される。
モンゴルで見た光景のことは、かつてnaaga`s voiceの「あの美しい馬をわれらに」というタイトルで書いたことがある。
モンゴルの首都ウランバートルには、マンホールチルドレンと呼ばれる子供たちがいて、彼らは薄汚いマンホールのなかで暮らしている。一部の大人たちに脅されて犯罪に手を染め、あるいは女の子はレイプされる。そこは、冷たい地獄のような場所だ。まだ年端のいかない子供たちが、その冷たい地獄で世界を呪っている。
しかし、いったんウランバートルを離れると、そこにはまったく別種の子供たちがいて、世界はまったく違った様相を呈している。

(以下、「あの美しい馬をわれらに」からの引用)
昨年5月のこと。
僕はモンゴルで知り合った人に誘われて、ウランバートル郊外の草原へ馬に乗りに出かけたのだった。テレルジという国立公園の美しい平原に、ぽつんとひとつのゲルが建っていて、そのまわりに馬たちが20頭ほどいただろうか。そのゲルに住む家族は、観光客のためのホーストレッキングをやっていて、僕たちが訊ねるとモンゴルのミルクティーで歓迎してくれた。
そのゲルに、やはり15歳にも満たない少年が暮らしていて、彼が僕たちのトレッキングを先導してくれた。彼の手綱さばきは、素晴らしかった。長いたてがみを持つ最も気の荒い暴れ馬に跨がり、まるでねじ伏せるように馬を奔らせた。暴れ馬は怒りを全身で現わすように前脚を高く持ち上げ、少年を振り落とそうとする。草原を切り裂くような金切り声で哭き、長いたてがみを揺すった。
だが、少年は力ずくで馬を制圧するのだ。制圧し、君臨し、そして、愛する。だが、すべてが遊戯であり、すべてが奔放で、自在だった。美しかった。それは、ひとつの愛撫ですらあった。暴れ馬の長いたてがみはあまりにもセクシャルで、少年はそれと遊戯するひとつの恩寵そのものであった。
その少年を、僕は思い出した。
同じ歳頃の少年のはずなのに、なぜ一人は平原で遊戯し、なぜもう一人は、マンホールのゴミ溜めで世界を呪うのか。なぜ冷たい地獄で、凍えるのか。同じ年端の少年が。 
そしてなぜ、世界の姿はかく在るのか。
なぜ、マンホールの少年は草原で暴れ馬に乗っていられなかったのか。なぜ冷たい地獄の底に横たわっていなければならないのか。一体なぜ、世界はその少年に青ざめないのか。

そう、この時に見た馬と少年の姿が、僕の記憶の深いところに残っていたのだと思う。
そうして僕は、デザイナーに、馬の写真を指差したのだ。「これを使おう」と。
また今回のCD『イリュミナシオン/冥王星』には、詩編のようなエッセイを併録したのだが、このエッセイに描かれた「平原を駆け抜ける野性の馬の群れ」には、やはりこの時の馬の姿が根源に横たわっている。
一切の抑圧を逃れ、生命が絶対的な肯定を獲得する場所。それが、平原なのだ。そして霊性は、この絶対的に肯定された生命自身に内蔵されている。
平原へ! それは、マンホールに暮らす子供たちへの言葉である。マンホールの「ような」場所に暮らすあらゆる人への言葉でもある。
だが抑圧は追いかけて来る。だから、僕たちは駆けなければならない。それが追いつく前に、平原を駆け抜けてゆかねばならない。スピードをあげて、息もつかずに、ただまっすぐ前だけを見て、駆け抜けるのだ。野性の馬の群れのように。暴れ馬にまたがった少年のように。そしてその時、すべては純然とした美である。裸の生命と、魂の、美である。
そんなことを想うのだ。

1月13日、もう今は夜中だからすでに昨日のこと。
僕は山へ登っていった。茅ケ岳という山である。今日は、父の命日だった。もう40年が経つ。冬枯れした山の、少しばかり見晴らしのいい場所に立って、僕は父のことを想う。父の年齢はもうとっくに過ぎてしまった。年下の父よ、あなたの息子の声は聴こえているか。山の上に立ち、冬の世界の光景を眺める息子の姿がわかるか。
長い時間が経ったね。お父さん。
世界はひどくやかましくて、でもここはとても静かで、冬はもうしばらく続くよ。僕はたくさんのものを見てきたけど、たくさんのものを失ったかも知れないね。でも、ともかくここまでやってきたんだ。自慢できる息子にはなれなかったけど、ともかく生きてはきたんだよ。
長い時間が過ぎたんだね。
年下の父よ。
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by rhyme_naaga | 2006-01-14 02:39 | etc
NewCD『イリュミナシオン/冥王星』リリースに、想う vol.1
今日1月10日、僕の新しいアルバム『イリュミナシオン/冥王星』が発売されました。
これは、僕の通算6枚めとなるソロアルバムです。
1999年元旦に、最初のソロアルバム『うつほ』をリリースしてから、丸7年。それからほぼ1年に1作ペースでリリースをしてきたのですが、振り返ってみればとても長い時間が経ったような気がします。
最初の3枚、『うつほ』『千の熊野』『魂は空に 魄は地に』は、奈良県の吉野/修験の聖地で制作され、その後、八ヶ岳に拠点を移したため、以降の3枚『シークレットライム』『すべての美しい闇のために』今回リリースの『イリュミナシオン/冥王星』は、八ヶ岳で制作されました。
どのアルバムにも、僕にとってはそれぞれの想いが込められていて、その時その時を精一杯生きてきたし、自分が持てるすべてをアルバムの楽曲のなかに、魂を込めるように、注いできました。
後になって聴きなおしてみると、自分の力のなさを痛感し、ああも出来たはずだ、こうも出来たはずだ、と気分が落ち込んだりもするけれど、でも今回のアルバム『イリュミナシオン/冥王星』を境に、なぜだかわからないけど、これまでのすべてを許せるような気持ちになりました。
結果がどうであれ、僕は精一杯生きたし、精一杯作ってきたのだ。
そう思えるようになったからです。もちろん紆余曲折もあったし、取るに足らないことに頭を悩ませたこともあったけれど、でも、アルバム制作というたったひとつのことだけは、一貫して魂を注いできたのだから。

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ともあれ、僕には吉野時代があり、八ヶ岳時代があるわけです。
吉野で作られた最初の3枚は、僕にとっては「吉野三部作」になります(こう書いて、ふと、僕は谷崎潤一郎のことを思い出しました。彼には吉野三部作はないけれど、『吉野葛』という短編の傑作がある)。吉野は先に書いたように、修験の聖地で、無数のヒダをなす山々は滝を作り、渓谷を作り、そうして何よりも深い影と暗闇を形作ります。それが密教的な濃度とあいまって、独特の「陰」のニュアンスを醸し出します。
しかし、八ヶ岳はそれとはまったく対照的に、明るい高原です。湿度はあまりなく、滝や渓谷もわずかです。山々は深い陰影を作らず、ただ八ヶ岳という独立峰が天空を突くように、蒼穹にそびえています。南には、甲斐駒ケ岳と北岳、そして遥か向こうに富士山が屹立しています。

人は、きっと住まう土地に左右され、影響されるものだと思います。そんな意味では、僕が吉野時代に作った3枚のアルバムと八ヶ岳で作った3枚のアルバムとは、きっとずいぶん違ったものになっているのかも知れません。その差異を、足跡として眺めることもできるかも知れません。いずれにせよ、僕はこの土地の縄文的な何かに触発され、促されて、この新しいアルバムを作りました。
縄文的な何か。
それは、僕にとっては「野性」を考えることでした。そして、野性と平行しながら「スピリチュアリティ」と「生命」について考えることでした。生命が、あらゆる肯定性に肯定された生命である時、それは野性であり、すなわち霊的ですらある。僕はそう考え、それを『イリュミナシオン/冥王星』に併録したエッセイ「新しいスピリチュアリティの夜明け」に書きました。それは、この八ヶ岳で考えたことであり、感じたことであり、いわば僕の現在です。

どうか、『イリュミナシオン/冥王星』をお聴きくださいませ。そして、僕の不器用な声、不確かな声色、言葉たち、そんなものたちを感じてくだされば、とても嬉しく思います。皆様に届いてほしい、と心から祈ります。
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by rhyme_naaga | 2006-01-10 22:16 | etc
ディオニュソスをめぐって part2〜月と不死、縄文のスピリチュアリティ
『ディオニュソスをめぐって part2』の詳細が決まりました!

今回は、春4月、八ヶ岳で開催されます。テーマは、縄文のスピリチュアリティ。縄文土器に描かれた図像を通して、数千年もの太古の人々が感じ、考え、信じていたであろう世界観に迫ります。
八ヶ岳南麓は、縄文中期、多くの人々が暮らす土地でした。今でも数多くの土器や土偶が出土し、その造形の美しさ、素晴らしさは火炎土器に勝るとも劣りません。
そして、焚き火をする会場のすぐ脇は藤内遺跡といって、とても重要な土器、土偶などが出土した場所です。
夜、火のもとで、数千年前の世界を感じてください。
私たちの始源であり、母胎である太古のスピリットに触れてください。
皆さまのご参加をお待ちしております!

詳細は、ame-ambientのHP、『ディオニュソスをめぐって』をご参照ください!
http://www.ame-ambient.com/

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by rhyme_naaga | 2006-01-08 04:10 | ライブツアー
明けましておめでとうございます
旧年中は多くの方々にお世話になり、ほんとうにありがとうございました。年も改まり、ワールドカップイヤーではありますが、ひき続き、よろしくお願いいたします。それにしても4年前のワールドカップの時には、一切の仕事をしないままずっとサッカーを観ていたのだった。よくあんなことができたなと今更ながらに感心し、呆れ、今年はたとえサッカーを観ようとも、ちゃんと心と魂のこもった音楽を作ろうと思う次第です。

1月10日には、新しいアルバム『イリュミナシオン/冥王星』がリリースされます。来週の火曜日です。たくさんの方々に聴いていただけたら、僕はとても幸せです。
皆さまの幸福と、健康を、八ヶ岳からお祈りしています。
今年もまた多くの場所でお会いしましょう。笑顔で、語りましょう。
どうか、幸福でありますように。
どうか。

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by rhyme_naaga | 2006-01-07 01:58 | etc