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タオにつながる
「風の三郎」シリーズもちょっと一休み。
信州伊那谷に暮らすタオイスト、加島祥造さんの名著『タオにつながる』が来年1月に朝日新聞社から、新たに文庫となって再販されます。
今回、その文庫化にあたって、僕が解説を書かせていただきました。タイトルは、『美しい闇に咲く花』。巻末に収録されています。

加島祥造さんの著書『タオ・ヒア・ナウ』を初めて読んだのは、もう10年も前のことだと思う。その頃僕はまだ東京にいて、作家になろうとしていた。ひどい焦燥感に駆られ、まるで川面に浮かんだ波紋を掌に掬いとろうとしているような日々だった。徒労と、疲労の日々。そんな頃に読んだ加島さんの本は、僕にはひとつの救済のようでもあり、少なくとも生きてゆく勇気を与えてくれた忘れられないものだった。
そんな加島さんと初めてお会いしたのは、今年の夏の終わりのことだった。伊那谷のパーティにお招きいただき、言葉を交わしたのだった。僕は、あの頃のお礼を言いたかった。でも、それをうまく言葉にすることはできなかった。
今回、『タオにつながる』の解説を書かせていただいたことは、僕にはとても光栄であり、そして、あの時うまく言葉にすることができなかったお礼の代わりにもなった。
加島さん、どうもありがとうございました。僕は、あなたからとてもたくさんのギフトをいただいてきたのです。どうもありがとう。

『タオにつながる』文庫版は、1月12日頃書店に並ぶはずです。
僕の拙い文章を含めて、どうか加島祥造さんの素晴らしい世界をご堪能くださいね。

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by rhyme_naaga | 2005-12-29 16:33 | etc
風の三郎 vol.5
まるでメモをとるように、「風の三郎」を書き続けている。一体これは誰かが読んでくださっているのだろうか、と訝り、たとえ読んでくださっていても、このひどく乱雑な思考の航跡を理解してくださる人はきっといないだろうなあ、と思っていたところへ、数人の友人が、「あれ、面白いよ」と言葉をかけてくれた。友人とは、ありがたいものだ。
だから、またこの乱雑なメモを書き続けよう。もうしばらく。
しかし、ひとつだけ。今更ことわる必要もないかも知れないが、僕が考古学も人類学も民俗学も学んだことはないから、このメモには学問的な裏付けはまったくない。僕のただひとりの思考である。歩きながら、考えたことである。
そう、僕はいつも歩きながら、漫然と、焦点を合わせずに、考えるのである。いつも。

甲賀三郎、諏訪大社の大祝がともに冬ごもりをする大蛇、そして縄文の竪穴式住居とそこに埋められた瓶。
それらに通底するのは、「地底」である。八ヶ岳の地底世界だ。
僕は縄文的な世界観には、この地底世界が大きく横たわっているのではないかと思う。そして、地底とは一体どういう場所なのか。
すぐに思いつくのが、イザナミの神話である。イザナギが亡き妻を求めて地底の黄泉の国へ出かけると、そこには腐乱死体となったイザナミが横たわっている。ここで大切なのは、腐乱したイザナミの死体から、あらゆる豊穣があふれだしていたことだ。
女神が死んで、そこから新しい生命が息吹く、というのは汎世界的な神話のタイプで、ハワイの女神ハイヌウェレの名をとって、ハイヌウェレ型神話と呼ばれている。縄文の土偶の多くが破壊された形で出土するのは、それらを彼ら縄文人がわざと破壊したからである。女神をかたどった土偶を破壊し、それをたとえば、焼き畑に散らける。すると、そこから新しい生命が芽生えるのである。
ここからはディオニュソス的になるのだが、生命には個体としてのビオスと、個体ではない生命全体を指していうゾーエーというふたつの言葉があるのだが、このイザナミ、あるいはハイヌウェレを貫く原理は、まぎれもなくゾーエーである。生命のエネルギーの永遠といってもいい。つまり、女神の死はエネルギーの分与であり、そのエネルギーは個体の形を変えながらも永続するのである。

蛇やカエルの冬眠は、地下で行なわれる。諏訪の大祝はなかば地下となった竪穴式住居で冬を過ごす。その地下を、イザナミ的な地底世界ととらえることはできないだろうか。蛇が脱皮を繰り返しながら永遠の生命を宿しているように見える秘密は、その冬眠にあり、なぜならば、蛇はそこでイザナミ的女神のエネルギーの分与にあずかっているからだ。
縄文の竪穴式住居の出入り口に埋められた瓶。そこに入れられた子供の亡骸は、イザナミ的女神の地底世界へ送り返されるものなのではないだろうか。大切なのは、それが「大地」へ戻されるのではなく、あくまでも「地底世界」へ、であることだ。大地へ戻されるのであれば、瓶に入れずに土に埋めれば良い。だが、瓶に入れられるというのは、つまり贈答品のように、パッケージされてどこかへ交通される、ということだからだ。

甲賀三郎は諏訪の地底世界を彷徨った果てに、大蛇となった。永遠の生を、地底で授かったのである。瓶に入れられた生命なき子供は、地底に戻り、イザナミ的女神の秘儀をうけて、あるいは大蛇として蘇るのかも知れない。その大蛇が、あるいは男根状の石であるのかも知れない。つまり、生命の環。エネルギーの永遠。

僕は夢想する。
八ヶ岳の地底世界。そして、八ヶ岳の洞窟。八ヶ岳のどこかに、洞窟があるかも知れない。地底世界へのアクセスの場として。
もし本当に洞窟があるとしたら、八ヶ岳の風、風の三郎はその洞窟から吹きあげてくるのだ。
イザナミ的時間、冬の時間に。
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by rhyme_naaga | 2005-12-27 04:01 | etc
風の三郎 vol.4
今年は20年ぶりの寒さなのだという。先日、仕事で軽井沢へ行ったのだが、八ヶ岳から軽井沢へ行くには、野辺山という高原を通ってゆく。時間は午後5時前。気温はすでにマイナス12℃になっていた。まだ夕方なのに。八ヶ岳から吹き下ろしてくる強烈な風に、雪が舞う。まるでブリザードのようだ。そして、軽井沢もまた凄い寒さだった。八ヶ岳の南麓も寒いというのに、まだまだ上がある、ということです。

ところで僕の家のすぐ近くで、現在、縄文遺跡の発掘作業が行なわれている。縄文中期の集落の遺跡であり、すべてで180戸ほどの竪穴式住居が確認されている。つい先日、遺跡の一般説明会があり、散歩がてら聴きに行った。
それぞれの竪穴式住居は円形で、その中央には炉が置かれている。そして、すべての住居の出入り口、つまり玄関の下には、瓶が埋められている。その瓶はとても大切なもので、瓶の中には幼くして亡くなった子供の遺骸か、あるいはお産の時に子供と一緒に出ている胞衣が入っている。
そしてもうひとつ、住居には必ず存在するものがある。
それは、男根状の石。石棒、つまり、リンガであり、ミシャグチである。こうした男根状の石は縄文遺跡に広く見られるもので、飛騨や北陸などを中心として、それに様々な装飾をこらしたものもある。
ともあれ、八ヶ岳の縄文竪穴式住居には、胞衣の入った瓶と男根状の石が、セットで置かれているのである。

さて、風の三郎のことである。
諏訪大社の大祝(おおほうり)である幼子は、冬のあいだずっと、竪穴式住居のような室にこもる。幼子のかたわらには、藁で編んだ大蛇が置かれている。そして、男根状の石、リンガは鎌首をもたげた霊威ある蛇でもある。
つまり、諏訪大社の重要な祭祀と、縄文の住居とは、同じ思考の産物として作られているのではないだろうか。
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by rhyme_naaga | 2005-12-23 00:33 | etc
風の三郎vol.3
先に、甲賀三郎のことを書いた。
甲賀三郎とは、中世の修験系の説話集『神道集』にあらわれる人物で、彼は諏訪から地底世界に下り、やがて大蛇と化してしまう。
なぜ大蛇かといえば、諏訪には縄文からの蛇信仰があるからだ。
諏訪には諏訪大社が4つあって、上社本宮、上社前宮、下社春宮、下社秋宮となっている。そのうち春宮と秋宮は成立が新しく、系統も上社2つとは異なっている。一方、本宮と前宮は古く(おそらく前宮がもっとも古い)、かつて、本宮には大祝(おおほうり)と呼ばれる神官がいた。大祝には、大祝家の幼子がなる。そして、その幼子を大祝にする祭祀を執り行なうのが、モリヤと呼ばれる諏訪のもっとも古い家筋で、それは神長官と呼ばれた。
大祝になる幼子は、冬、まるでカエルや蛇のように、冬ごもりをする。
地面をわずかに掘り下げ、そこに屋根をつけて、冬の間ずっとそこに暮らすのである。その時、幼子とともにこもるのが、藁で作った大蛇なのだった。いわば、幼子は大蛇とともに冬眠するのである。
甲賀三郎が地底で大蛇となる背景には、こうしたことがある。また、このとき、甲賀三郎は大祝の幼子にも比せられる。つまり、大蛇は三郎であり、幼子でもあるのだ。そして、三郎とは八ヶ岳の「風の三郎」でもある。
こうして成り立つのは、
三郎=大蛇=幼子=風神
となる。
三郎は、熱を帯びた風神である。そして大蛇である。さて、スサノオはヤマタノオロチを殺戮した。だが、神話学の定式に従えば、殺す者と殺される者は同体である。ならば、スサノオは大蛇である。
諏訪、八ヶ岳を解くのにことさらスサノオを引用するまでもないが、あるいはひとつの原型がここに潜んでいるかも知れない。
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by rhyme_naaga | 2005-12-17 04:53 | etc
風の三郎 vol.2
三郎という語の起源に「すさぶ」という言葉があるのではないか、と書いたが、じつは僕にはもうひとつ思うところがあって、それは「さすらう」、である。
「さすらう」が三郎に変化したのではないか。
「すさぶ」スサノオが荒ぶる神であるならば、「さすらう」という言葉にはもう少し穏やかなニュアンスがある。
「さすらう」から連想されるのは、神社でよく唱えられる「大祓」の詞。大祓では、人々の罪穢れを川の上流から海原まで連携しながら持ち去ってくれる3人の女神、そして一人の男神が登場するが、河口から海底へと持ち去ってくれるのが、「速さすらヒメ」である。速さすらヒメは河口で受け取った罪穢れを海底へと、「持ちて失いてん」、つまり、抱えて海底を歩きながらどこかへ葬るのである。
先に僕は、「さすらう」には穏やかなニュアンスがあると書いたが、速さすらヒメのこの姿には穏やかなところなど何もない。罪穢れを背負って海底を歩く様は、むしろ深々とした熱を帯びてすらいる。荒ぶるスサノオのような過剰な熱ではないが、もっと確信に満ちた強靭な熱がそこにはあるのだ。
「さすらう」熱。あるいは、供儀された者のみが持つ狂熱。

だが、「すさぶ」にしろ「さすらう」にしろ、共通して言えるのは、「移動」である。熱を帯びた移動。帰るあてどを持たない決定的な旅。
八ヶ岳の「風の三郎」とは、そののどかな名前とは裏腹な熱狂を纏っているのかも知れない。そして、風の三郎の姿から、僕たちは八ヶ岳のとてつもなく古い神の姿を幻視することができるかも知れない。
そのために、今度は諏訪大社にフォーカスしてみよう。
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by rhyme_naaga | 2005-12-15 03:50 | etc
風の三郎 vol.1
このところ八ヶ岳は激しい冷え込みで、昨日も午後3時ですでにマイナス3℃しか気温がなかった。こういう時は八ヶ岳のほうから激しい風が吹きおろしてくる。家の庭にある2本の巨大なヒマラヤ杉は梢をしならせ、葉はざわざわと揺れる。天空から風のうなりが響き、それが室内にまで聴こえてくる。
かつて、この風を「風の三郎」と呼んだのだという。八ヶ岳の中腹、風の通り道には「風の三郎社」という小さな祠もあるらしい。宮沢賢治の「風の又三郎」は、このあたりに暮らしていた彼の友人が手紙で「風の三郎」に触れていたことから着想したのだという。
「風の三郎」。しかし、奇妙な名前である。

三郎といえば、やはり八ヶ岳近くの諏訪湖、その湖畔にある諏訪大社を舞台にした「神道道」の説話の主人公、甲賀三郎もやはり三郎だった。甲賀三郎は、諏訪から地底の世界へと旅立つ。地底を遍歴し、やがて甲賀で地上に帰ってきた時、彼は大蛇と成り果てていた。
その三郎とは一体何だろうか。
ひとつには、「吹きすさぶ」という言葉の「すさぶ」が原型として考えられるかも知れない。
「すさぶ」に含意される荒ぶるイメージ。荒ぶりながら、移動する者。男。すさぶる男。同じ言葉から連想されるのは、スサノオノミコト。
スサノオは、荒ぶる神であった。

出典は忘れたが(延喜式だったか)、確か諏訪大社は大和の竜田大社とならんで風の神を祀っていた。八ヶ岳の風が三郎の風であり、荒ぶる風ならば、諏訪の風神もきっと荒ぶる神に違いない。
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by rhyme_naaga | 2005-12-14 03:52 | etc
新しいCD
夏からずっと制作していた新しいアルバムのミックスダウンが、先月末に終了した。
タイトルは、『イリュミナシオン/冥王星』。
すでにマスタリングにも入っていて、ジャケットデザインも決まった。発売は、来年1月10日。
皆さん、どうかお聴きください。

このブログでも以前書いたように、僕のファーストアルバム『うつほ』に入っていた曲「うつほ」を作り直し、収録した。それから、やはり絶版になっているサードアルバム『魂は空に 魄は地に』の中の曲『虹の天幕』もリテイクした。その他はすべて新曲だが、ともあれ、なかなか素晴らしい出来になったように思うのである。

そして、今回のCD『イリュミナシオン/冥王星』には、エッセイも併録されている。長い時間をかけて書いたものだ。
どうか、読んでいただきたい、と思うのである。
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by rhyme_naaga | 2005-12-08 02:25 | etc
近況は?
先週末は岐阜の山中で焚き火ライブ&トーク『ディオニュソスをめぐって』があり、今週末は愛知県半田市の藤井治療院の落成記念音入れライブ『うつほ』をやってきました。みなさん、どうもありがとうございました。『ディオニュソスをめぐって』には大阪からたくさんの人に来ていただき、また茨城県や鳥取県からもいらしてくださいました。『うつほ』のほうには、神戸からいらしてくださった方もいて、本当にうれしかったです。
どうもありがとうございました。
半田市の藤井治療院は、鍼灸を中心に活動を行なってゆきます。天才建築家・小西さんが設計されたカルパ建築のその治療院は、とても素晴らしいものです。今後の活躍に期待していますからね。

八ヶ岳はもう雪の季節。早いなあ。8月からずっと新しいCDの制作をやっていたせいか、秋がほんとうに短かった。
新しいCDのことは、またすぐに報告しますね。
ではでは!
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by rhyme_naaga | 2005-12-04 00:33 | etc