慌ただしい日々を過ごしているうちに、いつの間にか、梅雨明け。強烈な陽射しが山々や、野や、木々を照りつけている。
こんな陽射しのなかにいると、なんだかどこかへ泳ぎに行かなければならないような気がして、落ちつかないのである。
それは子どもの頃から、夏は毎日のように泳いでいたせいだ。
今の常識では考えられないが、大雨になった翌日の、ひどい洪水の川でも泳いで遊んでいた。昔の大人は、そういう子どもを止めなかった。洪水でひどく流されることは親も(もちろん子どもも)わかっていたが、まあ、それでも子どもの力を信頼していたのだろうと思う。
水に潜って遊んでいると、僕の身体をめざましい歓喜が満たしていくのがわかる。
それは、子どもの頃も現在も、ちっとも変わらないのである。
ああ、泳ぎたい。
『ディオニュソスをめぐって part5〜生きる力としての音楽』の詳細も、どうぞご覧ください。
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