先日、久しぶりに実家へ帰ったのである。
ちょっとゆっくりだったから、母親ともゆっくりと話ができた。テーブルを囲んで話しているうちに、話は「川遊び」のことになった。
「あんたが私のお腹の中におってな、9ヶ月の時やけど」母は言った。「私は川遊びがとにかく好きやったで、9ヶ月になっても川に入って遊んどったんや。魚採り。じゃぶじゃぶ川に浸かってな。そしたら、おばあちゃんが川まで降りてきて、『おまえ、何しとるんや、はよ川から上がれ!』と怒鳴られた。おばあちゃん、私の姿が見えんもんやで、川まで探しに来たんや。ちょっと目を離したら、すぐ川へ行くでな、私は。とにかく川で遊ぶのが好きで好きで我慢ならんかったんや」
僕は笑う。母は続けた。
「私の教育方針はただ一つ。『人間は溺れたらあかん』ということや。私はようけ溺れた人を見て来た。そうやで、あんた、物心つかんうちからずっと川で遊んどったやろ? そうやって川に馴れさせて、絶対溺れんように育てたんや」
僕はそこで納得がいく。
なるほど。僕は母のお腹にいる時からずっと母と一緒に川で遊んでいたのだ。そして、まだほんの赤ん坊の頃からずっと川の水に浸っていて、小さな子供の頃には大人でも深く潜らなければならないような深い淵を平気で泳ぎ、潜って遊んでいた。それは、すべて母親の教育のおかげなのだった。
思えば、僕は洪水でひどく増水している濁流の川でも泳いで遊んでいた。ほんと、激しい濁流なのだった。いまにも溺れそうな洪水である。
「洪水の時にも泳いだな」僕がそう言うと、母は、
「そうやな、あれは面白いでな」
と、しごく当然といった風情で頷いた。普通だったら、危ないから絶対川に近付くな、と厳命するところである。
そうやって育てられたのである。
ずっと水辺で、泳いでいたい。と思うのも至極当たり前なのだ、と納得した夜であった。
親子二代、水なしにはいられないのである。