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あの映像はどこで見たのだろうか。12月の中旬から移動が多かったことがあって、どこかのホテルの一室でか、それとも実家でか、つい先月のことなのにそれすら記憶に残ってはいないが、僕は薄暗い部屋にいてテレビの映像を見つめていたのだった。
普段はテレビのない生活を送っているせいか、遠征に出るとよくテレビを見る。その時映し出されていたのは、福島原発の爆発と、当時の官房長官の記者会見の様子だった。それは年末の報道特集のようなプログラムだった。官房長官が、落ち着いた様子で現在の状況を説明している。それを見つめながら、僕は3月当時のことをまるでつい昨日のことのように思い出す。テレビがないため、その時僕はネットのUStreamの中継をずっと見つめていた。 その時の緊迫感が蘇ってきて、僕は息をひそめる。じっと息を殺して、映像に目を凝らす。 その時僕は、国外避難の可能性を、というか、その現実的な手段をもはや考えなくてはならないのだと、しんしんと切迫した緊張感のなかで覚悟し始めていた。その時の感触が、年末の報道特集を見つめながら、にわかに蘇ってきたのだった。 考えてみれば、これほど切迫した時間、社会的な事件と自分の生活とか緊密に絡み合い、これほど切迫した日々を過ごしたことは、これまでにあっただろうか。 自分たちの生活する大地と、生命と、愛する者たちが傷つき、脅かされたことが、かつてあっただろうか。 僕たちは、あの日を境に、一体どれほど多くのものを失ったのだろうか。 そして、なお、失い続けているのだろうか。 これをトラウマ(精神的外傷)とまで呼ぶことはできないだろう。しかし、報道特集の映像は、僕にあの時の感情をまざまざと呼び起こさせ、僕の現在に斧を振り下ろした。 もはや、あの日以前に戻ることはできないのだ、と思う。 あの日を境に、僕たちは失われた。 僕たちは、永遠に続くと思っていたことが、本当はまるで砂上の楼閣のように脆い、かりそめのものであることを知った。 しかし、それでも僕たちの生が続いてゆく時、僕たちはこれからどのように生きてゆけば良いのか。 そして僕たちは、新しい年を迎え、さらに新しい日々を生きようとしている。2012年には大きなカタストロフィと転換があると、たくさんのスピリチュアリストたちが教えてくれたが、むしろ目の前にあるのは、日々の奇蹟である。 多くのものが失われ、多くの生命と大地が脅威に晒されながらも、いま、それでも僕たちが在るのは、あるいは奇蹟と呼ぶべきものなのかも知れない、と思う。 どのように生きてゆけば良いのか。考えてみれば、まったく当たり前のこの問いかけが、僕には澄み切った白のように目の前に広がっている。 2012年。 それでも僕は新しい年を祝し、新しい日々を歓ぶ。 僕たちは、生き残ったのだ。そして、たくさんの方たちの生命が失われたのだ。亡くなられた方々のご冥福をいま、改めてお祈りし、その魂の行く末、航海の道を祈りたいと思う。どうか、どうか、彼らの魂が安らかでありますように。 そして、生き残った僕たちのハートが、じゅうぶんに強くありますように。 僕たちの生命と、僕たちの大地を脅かす脅威や欺瞞を目の前にした時、僕たちのハートが鋼鉄のように強くありますように。そして、その鋼鉄の盾で、僕たちの生命と大地を守りますように。 じゅうぶんに強く、強くなろうではないか。 龍のように。それとも、獅子のように。 そして、新しい日々を、迎えよう。
by rhyme_naaga
| 2012-01-07 01:23
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